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2011年03月17日
イタリア統一150周年記念日
2011年3月17日の今日 イタリアは一国として統一されてから
150周年を迎えました。
イタリアは中世以来、都市国家に分裂状態にあり、イタリアの小国は神聖ローマ帝国時代以降、ドイツの影響下に置かれ、19世紀には、ハプスブルク家のオーストリアに従属している国が多く、また フランスにも干渉されていました。
サルデーニャ王国が中心となってイタリアの統一をめざす「リソルジメント」とよばれる運動が始まり、1849年サルデーニャ王国にヴィットーリオ=エマヌエーレ2世が王として即位し、イタリア統一をめざしました。
そして政治家カヴールが首相に任命され、ヴェネツィアをのぞく北部イタリアを併合し、サルデーニャ王国の統一戦争は一時中断。
およそ10年後、青年イタリアのメンバーとして活躍していたガリバルディ将軍が、義勇兵約1000人部隊《 千人隊(または赤シャツ隊と呼ばれる)》を率いてブルボン軍と戦いました。
1860年5月5日にジェノヴァから南イタリアへ向けて出港。シチリア島を制圧、さらにイタリア半島の南部からローマに向かって進軍し、勝利しました。
ガリバルディ将軍が占領した南イタリアを中心とする領土を国王に献上し、イタリア半島の統一がほぼ完成。
ガリバルディの活躍で、ローマ教皇領とオーストリア支配下のヴェネツィアをのぞくイタリアの大部分がサルデーニャ王国によって統一されました。
こうしてヴィットーリオ=エマヌエーレ2世は、1861年3月17日首都をトリノとしたイタリア王国の誕生を宣言し、初代イタリア国王に即位したのです。
初代イタリア国王のヴィットーリオ=エマヌエーレ2世 & イタリア王国となった最初の国旗。真ん中にサヴォイア家の紋章入り。
1865年からの5年間 首都はフィレンツェとなり、1866年にヴェネツィアが、ナポレオン、オーストリアの支配下を経てイタリア王国に編入。
1870年にローマ教皇領がイタリア王国に編入されて以降、首都がローマとなりました。
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東日本大震災で、被災された多くの方々や極寒の地で避難生活を余儀なくされている方々には 心からお見舞い申し上げます。
私たちにできることを一人ひとり考えていきたいと思います。
皆さまのご無事をお祈りいたします。
2011年03月08日
フェスタ デッラ ドンナ
3月8日の今日は、『国際女性デー』です。
イタリアでは“ Festa della Donna ”フェスタ デッラ ドンナ と呼ばれる「女性の日」です。 この日は、男性が女性に、日頃の感謝の気持ちを込めて黄色い“ミモザの花”を贈ります。
イタリア国内では、博物館や美術館などの施設が女性は無料!
この日だけは、家事や育児などから解放されて、女性同士で楽しく過ごすことが奨励されているのです。
この日は、元々今から約100年前の1904年ニューヨークで起こったデモに由来しています。
1904年3月8日、ニューヨークで女性労働者が婦人参政権を要求してデモを起こしました。
国連事務総長は、女性の十全かつ平等な社会参加の環境を整備するよう、加盟国に対し呼びかける日なのだそうです。
今ではイタリアでは、男性から女性に感謝の意を込めてミモザの花が贈られる日と決められ根付いています。
街にはこの日のために、ミモザの花束を売るワゴンが出て、男性達が花束を買っている光景が見られます。
イタリアの男性たちはこの日に限らず、機会があるごとに気軽に花束を贈ってくれますが、女性やお年寄りに対してものすごく心遣いや気配りを見せる国民だと思います。
日本にも普及してほしい習慣のひとつです。
この黄色の花束は、知人のご夫婦M里さん夫妻から頂きました。
ご夫婦で商売をされて30数年。
夫婦ニ人三脚で成功された大先輩。
「奥さんのおかげ!」と口癖のようにおっしゃるご主人。
感謝の言葉に微笑む奥様。
女性にとって“感謝の言葉”は、何よりも嬉しいもの。
笑顔でいわれるといっそう幸せに感じます。
いつまでも大先輩のご夫婦のようにありたいものです。
イタリアでは“ Festa della Donna ”フェスタ デッラ ドンナ と呼ばれる「女性の日」です。 この日は、男性が女性に、日頃の感謝の気持ちを込めて黄色い“ミモザの花”を贈ります。
イタリア国内では、博物館や美術館などの施設が女性は無料!
この日だけは、家事や育児などから解放されて、女性同士で楽しく過ごすことが奨励されているのです。
この日は、元々今から約100年前の1904年ニューヨークで起こったデモに由来しています。
1904年3月8日、ニューヨークで女性労働者が婦人参政権を要求してデモを起こしました。
国連事務総長は、女性の十全かつ平等な社会参加の環境を整備するよう、加盟国に対し呼びかける日なのだそうです。
今ではイタリアでは、男性から女性に感謝の意を込めてミモザの花が贈られる日と決められ根付いています。
街にはこの日のために、ミモザの花束を売るワゴンが出て、男性達が花束を買っている光景が見られます。
イタリアの男性たちはこの日に限らず、機会があるごとに気軽に花束を贈ってくれますが、女性やお年寄りに対してものすごく心遣いや気配りを見せる国民だと思います。
日本にも普及してほしい習慣のひとつです。
この黄色の花束は、知人のご夫婦M里さん夫妻から頂きました。
ご夫婦で商売をされて30数年。
夫婦ニ人三脚で成功された大先輩。
「奥さんのおかげ!」と口癖のようにおっしゃるご主人。
感謝の言葉に微笑む奥様。
女性にとって“感謝の言葉”は、何よりも嬉しいもの。
笑顔でいわれるといっそう幸せに感じます。
いつまでも大先輩のご夫婦のようにありたいものです。
2011年03月01日
カーニバルの季節
イタリアの2月と3月はカーニバルの季節です。
最も有名なのは世界3大カーニバルのひとつ、ヴェネツィアの
カーニバル!
カーニバルとは『 謝肉祭 』と訳され、本来はキリスト教の宗教行事のことです。
4月のキリスト復活祭(イースター)の前の40日間は、お酒や肉を断ち、静かに過ごす習慣があります。なので、その前に食べて飲んで大騒ぎする無礼講なお祭りがカーニバル!なのです。
ただ現在では“お祭り”的要素が強くなり、宗教的な意味ではあまり使われていないようです。
ヴェネツィアのカーニバルは中世ヴェネツィアにおいて、貴族たちが、身分を隠して庶民と交わって遊ぶために仮面をつけて町に繰り出すようになったのが起源だと言われています。
その後、ヴェネツィアは都市国家として“アドリア海の女王”と呼ばれるようになって、ヴェネツィアは繁栄し、毎晩のように仮面舞踏会が行われたため秩序が乱れていったそうです。
仮面という隠れみのによるモラルの低下によって、一時は禁止に追い込まれた歴史もありました。
なんといっても、子供たちの仮装は可愛い!
★ イタリアのヴェネツィア以外のカーニバル ★
トスカーナ州のヴィアレッジョ
たくさんの派手な巨大はりぼての山車が、色鮮やかで行うパレードは圧巻です。
海辺の街で行われるカーニバルは、陽気で楽しい!に尽きます。
トレンティーノ・アルト・アディジェ州
かつてオーストリアの領土だったこともあり、ハプスブルグ風のカーニバルが行われます。
最も有名なのは世界3大カーニバルのひとつ、ヴェネツィアの
カーニバル!
カーニバルとは『 謝肉祭 』と訳され、本来はキリスト教の宗教行事のことです。
4月のキリスト復活祭(イースター)の前の40日間は、お酒や肉を断ち、静かに過ごす習慣があります。なので、その前に食べて飲んで大騒ぎする無礼講なお祭りがカーニバル!なのです。
ただ現在では“お祭り”的要素が強くなり、宗教的な意味ではあまり使われていないようです。
ヴェネツィアのカーニバルは中世ヴェネツィアにおいて、貴族たちが、身分を隠して庶民と交わって遊ぶために仮面をつけて町に繰り出すようになったのが起源だと言われています。
その後、ヴェネツィアは都市国家として“アドリア海の女王”と呼ばれるようになって、ヴェネツィアは繁栄し、毎晩のように仮面舞踏会が行われたため秩序が乱れていったそうです。
仮面という隠れみのによるモラルの低下によって、一時は禁止に追い込まれた歴史もありました。
なんといっても、子供たちの仮装は可愛い!
★ イタリアのヴェネツィア以外のカーニバル ★
トスカーナ州のヴィアレッジョ
たくさんの派手な巨大はりぼての山車が、色鮮やかで行うパレードは圧巻です。
海辺の街で行われるカーニバルは、陽気で楽しい!に尽きます。
トレンティーノ・アルト・アディジェ州
かつてオーストリアの領土だったこともあり、ハプスブルグ風のカーニバルが行われます。